2016.10.28

MacBookPro。

- モノ -

うーん、このエントリも何回目かなぁ。。。
今朝?の発表を見て、喜ぶとともにちょっと残念な気持ちになった"古くからの"Macユーザは居るんじゃないかなぁ。
ま、フロッグデザインの時代の頃だと思うから、殆ど居ないかも知れないけどねぇ。

最初にタッチバーを見て思ったことは、"特定のキーに特定のインターフェイスが割り当てられないのはヒューマンインターフェイス的にどうなんだ?"だったからなぁ。
"なんで"Macのボタンが一つだったか、"なんで"昔のMacはキーの数が少なかったか。
そーんなことはおっさんの戯言になっちゃったんだけどね。。。

んでも。
アプリケーションに対し機能を指示する場所が、メニューバー/ウィンドウ/タッチバーと3箇所に沸かれた場合、ユーザはどう思うのだろうか。
スクリーンへのタッチがいいとも思わないけど、タッチバーは万人に使いやすいものだろうか。
"その他の者"に対しタッチバーは使いやすいものだろうか。
目の見えない人にとって、キーの機能が動的に変化するのはどうか。

"昔の"Appleはそこにも着目していた会社だった。
ま、最近のMacにそのロジックを求めるのは間違いだということも重々承知ではあるのだが。
プレゼンで出してくれたPowerBookには、まだその思想は残っていたと思うから。
"技術的に先に進む"のは、何のためか、誰のためなのか、というところを忘れないでいて欲しい、と切に願うだけですね。

"ジョブズがいたら"ってのはどういう意味か。
それをわかっている人もきっと居るとは思うのです。
HONDAにオヤジの精神が引き継がれているのと同じように。

投稿者 irikura : 22:20
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