意外なほど近くにあるが普段はなかなか気づかない。
気づく時はいつも突然に訪れ、しかも思い知らされる。
その突然さ故に大きく悲しむ事になるが、実はどこにでも転がっている事なのだ。
すべてのモノに平等にそれは訪れる。
不公平を感じるのは自分の想いのせい。
逃れる事が出来ず、すべてに必ず訪れるという点で公平なのだ。
受け止める気持ちの問題ではあるが、誰がどのように感じようとそれを止める権利はない。
逆に同じように感じなかったとしても、それは悪い事ではないはずだ。
感じる事に理由は要らない。
それの名は
死。
以前上司だった人の親が亡くなられた翌日に、知人の一人が交通事故で亡くなった。
上司だった人は私の親父の葬儀に来てくれて、その辺りから親父の事を思い出していたのだが、
追い打ちをかけるような知人の知らせ。
辛いし悲しい事ではあるが、それと同時にいつも思うのはそれが"どこにでもある"事だという事。
だからいい、のではなく、だからこそ、自分が、自分に繋がる者が生きているという事実を大切に感じないといけないのだと思う。
それとともに死者を死者たらしめているのは生きている側の者たちの気持ちであると言う事。
新しい思い出は増やす事は出来ないが、忘れ去らない限りその思い出にはいつでも元気な姿を呼び起こす事が出来るのだから。
むしろ忘れるべきなのは"何で"とか"そんな理不尽な"という気持ちの方では無いかと。
いくら考えても答えは出ないし、出たところで事実を変える事は出来ないのだから。
こんな考え方は間違ってるかも知れない。
本当に悲しんでやれる事の出来ない心の冷たい奴なのかも知れない。
でも、これが私の想いであり、私なりの納得の仕方だ。
それだけだ。