と、言われる場合がたまにある。
大抵は物事がうまくいかなかった時に理由として使われるのであるが。
でもさ。全く同じ個性の人間が居ないって判りきっている以上、"同じ意見"というのも基本的に存在しないのだって思うのですよ。
"趣旨に賛同"するのは違う意見を持つ物同士が納得してまとまることであって、全員が同じ意見に染まるわけではないと。
物事に対する見方が違ったからって、それは当たり前の事であって、違うという事自体が悪なのでも、違ったから自分が悪なわけでもない。
しかし人に"私はそう思わない"と言われた瞬間に"自分そのもの"が否定されたように感じてしまうらしいのですな。
その人が指摘したのは自分の意見がその人とは違うという事だけであるのに。
"そうなのか"と思うだけで終わりではないのかな?
私はただそれだけだと思うのだが。
投稿者 irikura : 00:23まだまだ分からない事だらけで、ちゃんと表せないけど。
意見が違った時に。「この人はそういう考え方をするのだな」と思わなければいけないのだと思う。そしてその次に「こういう考え方をする人だから、じゃぁ今度はこういう風に伝えよう」と考える必要があるのだと思う。「こう伝えたのでは分かって貰えないみたいだ。そうしたらどう伝えたら分かって貰えるのか」と考えると。
意見が違った人、お互いが考えるのだと思う。
(その考え方はおかしいから直してあげよう、とするときが一番問題で、難しいのだと思うけど。何を持ってして悪と判断するのかが。前の話とかぶってくるね)
同じように、世の中にはそういう考え方をする人もいるのだな、と考えることも必要だと思っている。相手が自分の事を同じように考えてくれるかどうかは別として。
今読んでいる本にこんな事が書いてある。…と思ったら、違う本だった(汗。
というわけでこのコメントは次回に続く(大汗。
(ようするに大体が本の受け売りだったりする(滝汗。)
少なくとも、「そうなのか。」で終わりにしてはいけないのだと思う。
コメントを返そうと思ったのだが。
次回に続くらしいのでそれを待ちましょう。(笑)